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ナミアゲハの網膜構成と視覚機能/木下充代(総合研究大学院大学 先導科学研究科)

種生物学会 電子版和文誌 第1巻1号 2016年3月

ナミアゲハの網膜構成と視覚機能

木下充代(総合研究大学院大学 先導科学研究科)

 様々な花で蜜を吸い、花粉を運ぶハチやチョウなどの訪花性昆虫は、優れた視覚能力を持っている。私はナミアゲハ(Papilio xuthus、以後アゲハ)の求蜜行動を指標とした視覚刺激の弁別実験を確立して、彼らがヒト同じように「色覚」を持つことを明らかにした(動画1)。さらにその色覚に「色の恒常性」「色対比」「明度対比」といった重要な現象があること、彼らがヒトには見えない光の電場振動面がそろった光「偏光」の振動面の違いも見分けることを明らかにしてきた1。一方でアゲハは、網膜上の受容細胞構成が最も詳しく理解されている昆虫のひとつである。そこで本項では、アゲハの視覚能力に網膜の構成がどのように関わるのかという点に焦点を当てて述べる。

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動画1.赤学習と色覚を証明する実験 .赤円板の上で砂糖水を与えてしばらくするとアゲハは、円板に自分から降りて蜜を吸うようになる。赤円板を学習したアゲハに、赤円板と異なる明るさの灰色と同時に提示しても、アゲハは赤円板を選ぶ。この実験は、アゲハが赤円板をその明るさではなく、色覚を使って見分けた、つまりアゲハには色覚があることを示している。

 アゲハの複眼を構成するたくさんある個眼には、それぞれ9つの視細胞が含まれる(図1a)。一方網膜には、異なる波長に感度を持つ紫外・紫・青・緑・赤の5種類の受容細胞と青から赤の波長まで広い範囲に感度を示す広帯域受容細胞の6種類がある(図1b)。分光感度に加えて各受容細胞は固有の偏光感度を持つ(図1c)。個眼はこれらの受容細胞の組み合わせによって、3タイプに分けられる(図1c)2。視覚の最初のフィルターである網膜のこのような複雑な構成は、彼らの視覚能力に深く関わっているにちがいない。

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図 1. アゲハの網膜構成.a. 個眼構造.縦切り(左)と異なる深さの個眼断面図(右) b. 色受容細胞の分光感度 c. 3タイプの個眼構成

 アゲハは、色紙を蜜と組み合わせて学習し、優れた弁別能を示す。網膜にある全ての受容細胞を使って色を見ているとすると、アゲハの色覚は6原色ということになる。 本当にそうだろうか?この問いには、波長弁別能の測定によって一定の答えを出せる。波長弁別能とは、見分けることのできる最も小さな波長差のことをさす。例えば、480nmの光を学習したアゲハに、学習光とそれ以外の波長の光を同時に見せる。もしアゲハが、ふたつの波長を見分けられれば480nmに吻を伸ばし、見分けられなければこの2つの波長を混同する。紫外から赤の波長域まで16の異なる波長を学習させたアゲハで波長弁別能を測定した結果、アゲハは3つの波長域でわずか1nmの差を見分けることがわかった(図2,黒線)3。  ミツバチやヒトなど3原色の色覚系を持つ動物では、二波長域で波長弁別能が高くなる。これを、三波長で波長弁得能が高くなるアゲハに当てはめると、彼らの色覚系は4原色であると予想できる。そこで、モデルにより波長弁別能をよく説明する色受容細胞の組み合わせを予測すると、アゲハの色覚は紫外・青・緑(視細胞5−8)・赤受容細胞の4種類を基盤とするという結果になった(図2,青線)3

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図 2. アゲハの波長弁別能曲線(黒)と予測曲線(青).  アゲハの波長弁別能は3波長(矢印)で高くなる.(Koshitaka et al. 2008より4)

 私は、あるとき学習した色紙を暗くしていくと、アゲハは正しい色紙に近づくにも関わらず、着地できなくなることに気づいた。そこで、色円板と背景の明るさのコントラストを段階的に変化させて着地行動をみると、円板と背景とがほぼ同じ光強度のときアゲハの着地が抑制された(図3)。続いて実験に用いたターゲットと背景に対する各の受容細胞の興奮量を計算したところ、色覚に関わる4種類の受容細胞の反応の総和が着地を阻害する光条件とよくあった。つまり、アゲハにとって物体の明るさは、色を見るときに使う色受容細胞の反応を全て足し合わせた生まれる感覚であると言える4

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図 3.着地行動と光強度コントラスト.
(同じ文字:有意差がない.p<0.05, Post hoc Scheffe test)

 アゲハは、色や明るさだけでなく、偏光振動面の違いも見分ける。非偏光の赤で学習させたアゲハに、地面に対して垂直に振動する偏光(縦偏光)と非偏光を同じ光強度で見せると、アゲハは縦偏光を好む(図4左)。ところが、縦偏光を明るい背景に非偏光を暗い背景上におくと、非偏光を選ぶようになる(図4右)。この結果は、より暗い背景上にある物体が実際の光強度よりより明るく見えるという明度対比現象とよく似ている。このことから、アゲハには縦偏光が非偏光よりも明るく見えると考えている1

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(**: p < 0.01, Wilcoxon signed-rank test)

 では、なぜ縦偏光がより明るく見えるのだろう?偏光は明るさの知覚に変換されているとすると、明るさ知覚に関わる受容細胞群がこの視覚能力に関わる可能性が高い。事実の色と明るさ知覚を生む受容細胞の偏光感度は、0・35・145度である。言い換えると、このシステムは全体として縦偏光に高い感度を持ち、縦偏光(0度)に対して同じ明るさの非偏光よりも大きく反応する。つまり、縦偏光が非偏光より明るく見えるという現象と一致する。以上全てを考え合わせると、アゲハは物体の色・明度・偏光という異なる視覚属性を同じ受容細胞群で見ていることになる。

引用文献

1 Arikawa (2003) J Comp Physiol A 189:791-800.

2 Kinoshita & Arikawa (2014) J Comp Physiol A 200 :513-526.

3 Koshitaka et al. (2008). Proc Biol Sci 275:947-954.

4 Koshitaka et al. (2011) J Comp Physiol A 197:1105-1112

さらに興味のある方々への参考文献

昆虫の視覚認知能力について
木下充代 (2009)「昆虫の見る世界」in 見える光,見えない光 ー動物と光の関わりー  日本比較生理生化学会編 担当編集委員:寺北明久・蟻川謙太郎 共立出版 pp: 78-95.

昆虫の色覚についての総説
Kelber A, Vorobyev M, Osorio D (2003) Animal colour vision - behavioural tests and physiological concepts. Biological Reviews of the Cambridge Philosophical Society 78 (1):81-118.

第47回 種生物学シンポジウム

会期 2015年12月4日(金) ~ 12月6日(日)
会場 かんぽの宿 岐阜羽島 (岐阜県羽島市桑原町午南1041)
【12月6日(日)】 「 送粉者としてのチョウを考える 」

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